令和の時代にそぐわないマナーについて質問されました。ただの雑談です。
人のココロや意識は、行動や所作に現れてきます。
自分以外のものに対する思いやりであったり、気遣いには、込められた思いが感じられると思います。
例えば、椅子を動かすにしても、きちんと両手で持って動かすのか、片手で動かすのか、足蹴にするのか。
動作の一つ一つに、気持ちが現れます。
ここで、本来ならば言葉の意味を定義しなければいけません。
令和の時代にそぐわないマナーとは、何でしょうか?
具体的に指し示されなかったので、ここでは、昭和、平成、令和と生きてきた中でのマナーが、令和の時代にちょっと合わないものはなにか?と聞かれたと仮定します。
一番最初に頭に浮かんだことは、人と人との関係において払うべき「然るべき敬意」や場面でのお行儀や作法のことです。
大抵の場合、こういったものの始まりは、誰かのためにといった思いや、その思いが受け継がれてきたものであったりします。
そういった意味で言えば、令和の時代にそぐわないマナーなどないのではないでしょうか?と答えました。
さて、肌感覚で、然るべき敬意を払えない人や、場面場面でのお行儀が良くない人が最近同世代で多い気がします。
例えば、先生が話しているのにぺちゃくちゃ喋っている大人。
目上の人に、まるで友だちと話しているようにタメ語で話す大人。
など。
多数決ではないけれど、皆がこういった方向に舵を切っていくのであれば、今までの思いは、時代にそぐわず、受け継がれることもなくなっていくのでしょう。
思いの源になったものはなんでしょうか?