間違えるのが怖いんです。といったお話です。
例えば、授業中先生に当てられて、答えて間違えると、一瞬時間が止まった感じがあったり、「クスクス」と押し殺した笑い声が聞こえてきて、自分が馬鹿にされているんじゃないかって考えてしまい、恥ずかしい思いをしている・・・。
間違ってもいいんです。間違いは恥ずかしいことではありません。
よく言われるアドバイスですね。
そのとおりだと思います。誰しもが間違うことはありますし、間違えるということは決して恥ずかしいことではありません。
でも、そうではないかもしれないといった見方も必要な場合があります。
そう思えず、本人が苦しいんだと思っている場合です。
では、クラスに30人いるとします。
残りの29人は、勉強ができる子達で、決して間違えることはないでしょうか?
あなたが、誤った回答をした時に、一瞬時間が止まった感じがある場合や押し殺した笑い声が聞こえてきた時、それは本当に馬鹿にされているんでしょうか?
そうかも知れないし、そうじゃないかもしれないと思います。
これが真実だと思います。
人は、完璧な生き物ではありません。
大人であろうが、子供であろうが、偉い人であろうがそうでなかろうが、過ちはあります。
・やってはいけないとわかっているのにやってしまった。
・やってはいけないとわかっているからやっていない。でも、やっていると言われた。
この違いって明らかそうに見えて、よくよく考えるととてもむつかしい区分けです。
そして、これらは、ほとんどの人が犯している過ちではないかと思うんです。あなたも、私も。
やってはいけないとわかっているのにやってしまった。
よくありますよね。わかりやすい例を上げれば、スピード違反。信号無視。
やってはいけないとわかっているからやっていない。でも、やってるって言われてしまった。やってはいけないとわかっているから、本当に気をつけているんだ。
でも、やってるって言われたら。
一時停止や踏切の横断で、きちんと止まっていたのに、止まってないって言われた。これの対処って難しいですよね。もう、カメラで録画がないと覆すのは難しいくらい、だめって言われたらだめになっちゃいますよね。
例えば、パワハラ。
やってはいけないってわかっているから、気をつけていたけれど、相手がパワハラだって一方的に言ってきたら、問題になりますよね。
これと同じように。
人は完璧な生き物ではありません。
どうとらえるのか。どうとらえられたのかによって、結果が変わってくるんです。
恐ろしい世の中ですよね。
間違えないように、気をつけていても、間違いだって言われてしまえば間違いになるのが、今の世の中です。息苦しい世の中なんです。
だいぶ世の中も、言ったもん勝ちにさせないようにきちんと検証しようという空気が広がってきました。
いいことですよね。
間違えることは怖いです。恥ずかしいです。
よくわかります。
でも、そうならないためにも、ちょっとの努力は必要になってくると思うんです。落ち込んだら、真っ暗なトンネルに取り残された感じになるでしょう。
でも、今日一日を無事過ごせればいいじゃないですか?
明日もあさってもあるんだから、明日、明後日が今日より良くなるように、ちょっとだけ、行動をしてみるというのも大事かもしれませんよ。